頭の中はいつもがやがや。

ちょっとトゲの刺さった言葉にのせて みんなに見て欲しくないところにある 心の中の自分を表現したい。

パートナーは結局他人。


どれだけ愛しあっていても、愛がなければ終わってしまう。
永遠なんてギャランティーできない。
いくら紙切れで契約を交わしたとしても。

もしそこに愛がないのなら別れてしまうべきだと思う。
そんな環境で良い生活、感動的な瞬間なんて生まれない。

だからこそ、自分は自分の人生を生きなければいけない。
誰かに頼ることに頼ってしまえばいつかどこかで自分を見失ってしまう。 

今の彼が大好きでこれからもずっと一緒にいたいと思う。
でもだからと言ってそれは相手に頼っていいことにはならない。


正直、この2ヶ月間人と比べて落ち込んで
やりたいことができないストレスを感じて劣等感を感じていた。
社会から取り残されたような気持ち。
足を怪我して思うように物事が進まなくなってしまって、
生まれて初めて自由を奪われてしまったような感覚。
苦しかった。

でもみんなのおかげで心にぽっかりあいた孤独のようなものは感じなかった。
それはいつも迷惑かけてばっかりのハルカを面倒見てくれて、大阪に戻るを寂しく思ってくれる両親がいて、
こんなお荷物でしかないはるかに戻ってきてほしいって言ってくれて、三重にいるときは会いにきてくれるデイビッドがいて。
家に遊びにきてくれる友達、
心配して連絡をくれる友達、
みんながいてくれたから自分は愛されているなって幸せものだと思わせてくれた。

もっとみんなが大好きになったし同じことが起こったら
助けてあげられるようになりたいと思った。

でもそれは自分の幸せとは言えない。
それは相手に頼った幸せ。

人からもらえる幸せには限界がある。

幸せは自分の中にあるもの。

結局は自分で自分の人生に満足できなければ、自分に納得することができない。
本当の幸せは自分が心の面で自立していることが大前提だということ。

 

そして幸せに四つの軸があるとするなら、
人間関係
目標に向かって頑張っている自分
健康
お金


幸せはバランス。


だからいくら人に恵まれていていて幸せを感じていても
どこか満たされていない自分が生まれる。

 

 

 

アダプション

子供は血が繋がってないとだめ?

世界には親がいない子供がたくさんいる。
30を超えても働きたい大人もたくさんいる。

もしアダプションが世間に受け入れられるようになったら
働きたい人はもっと長く働けるようになるし、
親がいなくて寂しい思いをしている子供の数も減るのではないだろうか。


本当に愛するということに血は関係あるの?
血は繋がっていても虐待されたり、

子供が親を殺してしまったりしてしまうことだってある。

 

逆に血が繋がっていなくても大切に我が子のように育てる人もいる。

 

それは血が繋がっているかいないかではなくて
どうやってアプローチするかではないだろうか。

 

もし、アダプションをおこなった後に育児を放棄してしまう人がいたら、
それはアダプションを理由にしているだけであって本当は関係ないんではないだろうか。

親が愛し方を知っているか、愛されて育ってきたかどうか
そういったところが関わってくるんじゃないだろうか。

 

うん、
子供を産んだことも
育てたこともない私は何も言えない。。。


でも心のどこかで自分の子供もほしいと思ってしまう自分もいるからややこしい。
これは本能的なことなんだろうか
自分の子孫を残したいということなんだろうか。

 

幸福

多分私は彼に嫉妬しているんだと思う。

一番身近にいて、

恋人のような、友達のような大切な存在。

でもいつしか嫉妬するようになっていた。

友達にも家族にも恵まれていて

嫉妬するほどに美しい心を持っている。

裏表がなさすぎて

疑ってしまう自分に嫌気がさす。

そして現在、自分が思う様に動けないストレスから

彼に対する嫉妬は増えてコントロールしたいと思う様になった。

失うのが怖いのだろうか

自分がいるのにサッカーを選ぶということ

運動ができるということ

お金が稼げるということ

全てが彼の思うままに進んでいること

憎いほどに誰かを助けたいという気持ちで動いているということ。

 

叶わないと思ってしまう。

そして大好きだ

 

いつか自分に疲れてしまうんではないかという気持ちが先立って

意地悪なことを言ってしまう。

 

でもなんだかこうやって考えることが馬鹿らしいと思えてきた。笑

もっと気楽に生きたい

そう生きるためにはわたしには日本は窮屈すぎるのかもしれない。

まだ自分の核心を作れていないからすぐに流されてしまう。

 

やっはり、南の島に生きたい。

モアナの聖地に生きたい。

彼らのルーツがこれからの社会に必要なヒントがあるはずだ。

 

人は誰かのために動いた時に幸福を感じるんだ。

 

 

ナンプレ。色ぬり。

こういったものが私の頭を活性化させているように感じる。

やはり、紙を見る時間って必要だ。
本でも電子化の方が無駄がないし、コストもかからない、持ち運びまで便利。

でもやっぱり紙には紙の良さがある。

なんて言うんだろう。
ガヤガヤしたものを取り払ってくれる感じ。

昔、ヨガに通っていた時、
ヨガをする度に頭の中で黒いぐるぐるのやつが
頭の中を渦巻いていた。


瞑想出来るほどヨガに余裕がなかったのも事実だけど、
あの時は凄く心が参っていたと思う。


東京には可哀想な人が沢山いた。

寂しそうな人がたくさんいた。

自分の居場所を求めている人が沢山いた。

その中で、人は汚いんじゃないか思い始めた自分はまだ弱かった。
自分の信念を大方見失ってしまっていたと思う。

周りに散々影響され、振り回された3ヶ月間。

東京であまり良い印象を持つことなく終えてしまったことは残念だったな。

話は脱線してしまったが
あの時の私は素直に笑うことができなかったし、
自分を守るように人と素直に話すことができなかった。


今は正直幸せなんだ。

 

あ、私も社会のマジョリティに入ったんだ。

体の一部を怪我して、
世界の味方が変わった。

おうげさかもしれないけど、
変わった。

健康な人にとってのプラスαは
それほど変わらない。

けど、体の不自由な人にとっての
プラスαの存在は大きい。

足が健康な人にとっての段差はそれほど変わらない。
けど、車椅子や松葉杖の人にとって階段は凄くしんどい。

それと同じで、持ってる人にとってのプラスαはそれほど変わらないけど、
持っていない人にとってのプラスαの存在は大きい。


髪が長い人にとって、それが短くなってもそれほど変わらない。
髪がない人にとって、カツラがあるか、ないかは全然違う。


リサイクルという考え方。

寄付ではなくリサイクル
そんな考え方をどうにか広げるアイディアはないのかな。

応募しようかな。

もしMercy Shipから連絡がきたらはるかは
多分行きたいと思うだろう。
(主にアメリカのクリスチャンの人々によって成り立っている船の病院。病院に行く機会がない人々に医療を提供する団体)

純粋にクリスチャンの世界感が気になる。
SWYの船が小さな地球ならば
Mercy Shipは小さなアメリカだと思う。

そんな世界にも差別はあるのだろうか。
白人の中にアジアが一人迷えば嫌な扱いを受ける?
白人が黒人を助けるという枠組みがそもそも人種差別?

変えていかなくてはいけないけど、
みんなそれぞれ生まれ育った文化を元にその人の基本が作られてしまって、
それを全てフラットにすることは難しいと思うんだ。

だからこそ体験する必要がある。

 

今まで、批判的であったことであっても
それを行なっている人の話を聞けば賛成はできなくても理解はできるかもしれない。

許せないことであったとしても、
その人の過去を聞けば、その人だけが悪いわけじゃない。
この人も被害者かもしれないいう結論に至るのかもしれない。


でも今はこれだけSNSが発達して、たくさんの人の意見を聞けるようになったから
意識して発言していかないといけないとは思うんだけど。

そもそも、寄付とかボランティアって根本的に
相手を見下しているものだよね。悪くいってしまえば。
それはもう潜在的意識で、無意識だと思う。

変える方が難しい。

だからこそ成り立っていることはたくさんあると思うし。

もしいろいろな寄付で成り立っていて
毎日相手に感謝されて、餓えや孤独に晒されない環境なんて幸せだと思う。
それがマーシーシップなんじゃないかな。わからないけど。

船で何年も生活する人の気持ちが想像できる。

でもこれは私の想像でしかないから。
だから行きたい。

いろいろな宗教に触れて見たい。
自分なりの答えを出したいの。
本当に世界は平和になることができるのかって。

みんなどんな思いで宗教を信じているんだろうかって。

私は未だに他の宗教を信仰しようと思わないけど
人に優しく、理解のある人間になりたいと思う。
Giving Personになりたいっていつも思っている。

無償で人に尽くせるような真の強い人間になりたいと思っている。
それはエゴなのだろうか?
常に謙遜を忘れないでいたいということは綺麗事?
与えてもらったのもは他の人に広めるの。

そうすれば、ある日みんなが気付くんじゃないかな?
あ、いいことをすればいいことが戻ってくるんだって。

神様がそうしてくれたんじゃなくて
世の中はそうあるものなんだと。

少なくとも私はそう思いたいんだ。

良いことをやれば良いことはめぐってくる。
悪い考えを持ったりや行動をしてしまえば、
やめろっていう警告があって
それさえも
無視してしまえば、
良くないことが巡ってくる。

 

 

そんな世界は本当にあるにだろうか?