頭の中はいつもがやがや。

ちょっとトゲの刺さった言葉にのせて みんなに見て欲しくないところにある 心の中の自分を表現したい。

一人一人がいいことをやりづらくなってしまった世界。

 

なんで人がボランティアをしていると聞いた時、
人は少し、いやーな気持ちになってしまうのだろう。
なんでした人は人に言いづらいような、後ろめたい気持ちになるのだろう。

本当にその人たちのためになっていないことを
心のそこで感じているからなのだろうか。

正直ボランティアをしていた時、
いつも自分って本当に役に立たないな。
自分にできることってなんだろう。
そんな風に思っていた。

逆になぜ、ボランティアをしない人はボランティアをしている人を
否定したがるのだろうか。

みんなこう言う。
それって結局自己満足でしょ。
それって本当に助けになっているの。

私は、自己満でもいいと思う。
人から良いように思われたかった。
ちょっといいことしたい気分だった。
それだけでもいいと思う。
それで少しでもその人たちの助けになっているなら。

それをSNSに載せたっていいじゃん。
事実なんだから。

それで今日もいいことした、
また挑戦しよう、頑張ろうって
次のモチベーションに繋がったりするじゃん。


なんでこんなことを書くかって?
最近、自分の生きている役割を考えるようになったからだ。

自分のやりたいことを見つけることが
なぜこんなに難しいんだろう。

私は国際協力に興味を持ち出した高校三年生から
大学生活の間は国際協力で人の役に立つことが自分のやりたいことだと信じて疑わなかった。
そして没頭した。

でも違ったみたい。
カナダ生活、船での生活を通して、
人は結局人と繋がっている瞬間が一番幸せなのだと感じた。


家族との良い過ごし方を知った私、
大切な人を見つけた私、
価値観の合う友達と朝まで語る私、
そんな私の生活はしあわせだなのだ。

国際協力をして
自分を肯定する必要がなくなったのだ。

いつしか、国際協力を頭の端に追いやったままになっていた。

人間は自分勝手で傲慢な生き物だ。

私のその中の一人。

私は平和主義。世界から無意味な戦争、争い全てなくなってほしいと思っている。
だから”自分の欲が満たされている”時はこう言う。

みんな傲慢過ぎる。なんでもう少し相手のことを考えて行動できないんだ。
なんで困っている人を助けないんだと。


もし今のはるかに
家族がいなくて、生きることに十分でないお金しかなくて、
これからの人生を共に過ごしたいと思える人間がいなかったら。
はるかは同じように理想論を言うことができるのだろうか。

それほど私は強いのだろか。

それほど人間は強いのだろか。